マンションの廊下やバルコニー、あるいは道端などで、ひっくり返っているセミが突然「ジージジジッ!」と鳴きながら羽をバタバタさせたり、鳴かずにいきなり暴れたり。
鳴かないのはそりゃメスだからだよ、というのは雑な感想すぎやしませんか。鳴くのは体力いるんです。
いきなり脱線。
そんな時限爆弾みたいなセミの暴れっぷりが 、いつからか「セミファイナル」やら「セミ爆弾」と呼ばれるようになりました。
東京生まれの僕にとって、セミは幼い頃から身近にいてくれた昆虫。踏まれたセミを見るのはとても悲しいのです。
落ちているセミの脚に指を触れさせると、かなりの確率で摑まってきます。
そして、口吻を突き立ててきます。
僕の指を木だと勘違いして、樹液を吸おうとしているのか。それくらい朦朧としているのか、とにかくお腹が空いているのか。
ひっくり返っていたのが信じられないくらい、生きる気力に満ちているわけです。木にとまらせてやれば、樹液を吸って元気になるかも。
「あなた、食べたいの血じゃないでしょ」
などと、指にとまらせたセミに声をかけながら、外敵のいなさそうな木を探して歩く僕。
いいんです、どんな風に見られようと。これが僕のセミファイナル。近づいて暴れられたこともないので、ファイナルでも爆弾でもなくって、単なる救出活動。
でも「セミファイナル」なんて言葉が(ある程度)定着するということは、多くの人にとっては、もっと違う体験だということです。
そしてそこには、霊的な意味、メッセージが隠されているのです。
つづくのです。
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