2018年3月30日金曜日

和な伝統の罠・前編

 人と人とが生きていく上で、「概ね都合のいい仕組み」が採用されていく。それが続けば伝統やしきたり、信仰になったりする。

 「最初はただの都合だった」が忘れられて、形だけが受け継がれていく。「ルールだから」とか「そういう決まりなの」って言う方が便利だからね。すぐ始めさせられるし。

 民主主義と同じで、大勢のためのルールが合わない人、そのことで苦しむ人がいる。

 一人に対して「あんたのせいで、みんなが迷惑しとるんじゃ」って大勢で言いに来るけど、そのエネルギーを例えば国に対して「戦争のせいで、みんながどんどん死んでいくんじゃ」と向けたりは絶対にしないよね、あの人たち。

 あれ? 何の話だっけ。

 ええっと、そうそう。

 地域や集団を守るためのルールがあって、それを支えるために育つ信仰ってのもあるのよ。神様の名を借りるっていうか、捏造するんだよね。神様の形を作れば、そこに入ってくれるこっくりたんなんていくらでもいるし。歴史や伝統なんて、怪しいもんなのよ。

 物心つく前に「何となくそういうものだと覚えさせられる」ことは多い。理由を説明できない大人ばかりだと、理由を尋ねることが悪になる。

 「お母さんはあなたのためを思って言ってるのよ!」もそう。

 結果として目指すべき「和」が、最初から縛っておくための「輪」にすり替わったまま、ありがたそうに担がれるなんてことはもう、しょっちゅうある。

 次回につづくこともしょっちゅうある。


Shin01

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