2018年3月15日木曜日

霊感商法と儀式屋さんの境界線

 前回もちょっと触れたけど、見えないものを扱うことの難しさね。

 第三者が入ってきて、「霊感商法だキーキーキー」みたいに言い出したらもうさ、終わりみたいなとこあるじゃない。信じてない奴が断固信じない許せないって立場でね、勝っても負けてもギャラもらうんで頑張ります任せてくださいよっていう。負けることあるのかね、ああいう裁判って。

 まあね、見えないのをいいことに悪いことする奴はいっぱいいるからね。

 でもね、霊感ゼロの神社仏閣関係者がね、「いるかいないかは分かりませんが、癒やしとしての役割が」みたいなスタンスで受け付けるのもどうなんだよと。

 勉強だけした占い師とかと同じだと考えれば、別にいいのか?

 見えないものを見えるようにするというか、共有できる=(第三者も含めて)合意をとれるようにするために発展してきたのが儀式で、勉強すればなれる系の占い師なんかもまあ、同系統だよね。

 そういう意味では、住職も神職も占い師も、基本的には儀式屋さん。絵馬もお守りもありがたいお水も、パワーストーンなんかもぜーんぶ関連グッズで。

 どこからが霊感商法なのかのう。わしゃ分からんわいほうじゃほうじゃ。歴史と伝統の大手チェーン店なら許されるんかのうギギギ。

 貯め込んでるくせに資金繰りが苦しいふりしてるような、悪ーい儀式屋さんはいっぱいいるけどね、昔から。そういう奴に限って、やれ霊木だ神木だってね、神妙な顔して言ってたりするんだよ。まあいいのか、儀式屋だから。

 いいのか?


Shin01

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。