「私、霊感あるんですよ」とか「友達に霊感のある人がいてー」って言われると、あーあ、言っちゃったなと思う。
霊感は誰にでもあるし、無意識に使ってるんですよね。問題はそれをどう捉えるか、自覚的に用いるならどう磨いたり、研ぎ澄ませていくのかが大事で。
だから「私、霊感が強いんですよ」とか「霊感って言っていいのか分からないんですけど、そういうのちょっとあって」って言われると、うんうんそれで、と次を聞きたくなる。いや、顔が好みかどうかってだけかもしれないけど。
「霊感がある」だと持つか持たざるかの世界になっちゃって、同じ感覚を持つ仲間を探しにいっちゃう。周りにはいない、あたしだけだどうしよう、えっ嘘やだほんとですかうわー初めてです霊感ある人に会えたのー嬉しいなーこういう話できる人いなくってー。
同じものでも違う形で捉えたりする、霊感っていうのはそういうものっていうか、霊感じゃなくっても個人の感覚っていうのはそういうものなんだけど、共有を強調したくて「見えたよね」を揃えにいっちゃう。
「あの人、手から金粉出てたから。」
「あーっ、出てたよね! あたしも見た!」
「霊感なんてねえよバカバカしい、それよりちょっとパチンコ代をくれ」的な周囲の無理解も手伝って、女は(なぜ女なんだ男でもいいじゃないか)「霊感ある人たちのコミュニティ」に居場所を求めるようになる。
そういう人たちが「スピリチュアル」という言葉を変な感じに孤立させて、ウキウキ気分で「普通の会話ができない人たち」になっていく。孤独が嫌で仲間を探してたはずのに、気づかないまま別の孤独にはまってしまうっていうね。人生って不思議ね残酷よねー。
まあ何でもいいんだけど、使えたはずの言葉が使いにくくなっちゃうってのはね、ちょっと不便だなー。
Shin01
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