2017年7月12日水曜日

このパワースポットをシェアしますか?

 一時ほど聞かなくなったような気もしますが、「何それ?」と聞き返されるような感覚もないので、定着したということかもしれません。パワースポット。

 そこには良いエネルギーが満ちており、行けば誰もが機械の身体をもらえる……間違えた、えっと元気になったり、運が良くなったりするというね。

「行けば誰もが」なんて言うもんだから、誰も彼もが行くようになる。「何か知らんけど御利益があるらしいから」、御利益御利益きゃっきゃっきゃっ。イケメンイケメンきゃっきゃっきゃっ。

 御利益と 漢字で書くと 浅ましい

 御利益を「いいこと」に置き換えてみますかね。いいことってのは、人によって、もしくはその人の情況によって異なるわけです。異なる需要、異なる欲求を満たす魔法の言葉、「いいこと」。

 霊感は誰にでもあるけど、それをどのように使うか、使っているかが大事であって。そういう部分、個人の想いの方向、何を大事に生きているかみたいなところと、その場所のエネルギーとの相性が果たしてどうか。

 相性が良ければ、晴れてそこがその人のパワースポットとなる。

 いい医者だって聞いたからわざわざ来てやったのに、なんだとんでもねえヤブ医者じゃねえか、みたいなね。「ハードル上がる」とか言うけど、聞く方の聞き方だってあるし、効く方の効き方だってある。あなたのパワースポット、お友達のパワースポット。共有できなきゃお友達じゃないとか、そういうのとは別の話。

 そういう細かいこと考えるのがめんどくさいから、誰にでもある程度、だいたい御利益があるみたいなのが「有名なパワースポット」になるんだろうけど。誰も彼もが行くようになれば、見えるゴミ、見えないゴミが結構増えて、そのゴミの方に引っ張られて具合悪くなる、なんてこともあるんでね。

 相性のいいパワースポットってのはまあ、意外と静かなもんです。


Shin01

2017年7月8日土曜日

「霊感あるんですよー」はなぜヤバい

「私、霊感とか全然なくって」って言う人はいいんです。

「私、霊感あるんですよ」とか「友達に霊感のある人がいてー」って言われると、あーあ、言っちゃったなと思う。

 霊感は誰にでもあるし、無意識に使ってるんですよね。問題はそれをどう捉えるか、自覚的に用いるならどう磨いたり、研ぎ澄ませていくのかが大事で。

 だから「私、霊感が強いんですよ」とか「霊感って言っていいのか分からないんですけど、そういうのちょっとあって」って言われると、うんうんそれで、と次を聞きたくなる。いや、顔が好みかどうかってだけかもしれないけど。

「霊感がある」だと持つか持たざるかの世界になっちゃって、同じ感覚を持つ仲間を探しにいっちゃう。周りにはいない、あたしだけだどうしよう、えっ嘘やだほんとですかうわー初めてです霊感ある人に会えたのー嬉しいなーこういう話できる人いなくってー。

 同じものでも違う形で捉えたりする、霊感っていうのはそういうものっていうか、霊感じゃなくっても個人の感覚っていうのはそういうものなんだけど、共有を強調したくて「見えたよね」を揃えにいっちゃう。

「あの人、手から金粉出てたから。」
「あーっ、出てたよね! あたしも見た!」

「霊感なんてねえよバカバカしい、それよりちょっとパチンコ代をくれ」的な周囲の無理解も手伝って、女は(なぜ女なんだ男でもいいじゃないか)「霊感ある人たちのコミュニティ」に居場所を求めるようになる。

 そういう人たちが「スピリチュアル」という言葉を変な感じに孤立させて、ウキウキ気分で「普通の会話ができない人たち」になっていく。孤独が嫌で仲間を探してたはずのに、気づかないまま別の孤独にはまってしまうっていうね。人生って不思議ね残酷よねー。

 まあ何でもいいんだけど、使えたはずの言葉が使いにくくなっちゃうってのはね、ちょっと不便だなー。


Shin01