2017年12月14日木曜日

トイレで開運! あ、そういう意味じゃなくって

 「便所の100ワット」って聞いたことある? 「無駄に明るいこと」を表す言葉だけど、今は蛍光ランプを通り過ぎてLED電球の時代になっちゃったし、言う人もいなくなるのかな。

 子どもの頃からもう、「便所の100ワット」って耳にするたびに「こいつうるせえな」と思ってて。トイレこそ明るくあるべきなんだよね。

 日本のトイレは綺麗だとか機能が凄いとか言われてるけど、使う人間の気分が大事なのよね。外国と比べてどうだとかじゃないのよ。それはそれは綺麗な女神様がおってもおらんでも、トイレは綺麗にしとけよっていう。あんなんで感動してる奴が多いうん、ごほんごほん、うちは、日本のトイレはまだまだです。

 風水とかでもね、なーんかこう、ネガティブに扱うでしょ。あんなん読んで受け取ってる真面目さがあるんだったら、少しでも明るくしようとした方がいいよ、トイレ。

 トイレに限った話じゃないけどね。

 LED照明が進歩して、明かりを細かく工夫できる時代になった。ブルーライトやら直進的な光に文句を言う人もいるし、使い方や使いどころは考えなきゃいけないけど、大事なのは生活にどう上手に取り入れるか。

 家の照明っていうのは、サーカディアンリズムとはまた別のね、個人の性格に合わせた調整ができるし、そうすべきなんだけど。固定観念や習慣に縛られて、つまんない照明で何年も何十年も過ごして、本来のパフォーマンスを発揮できずにいる人がほとんど。

 アスリートやアーティストのみならず、恋愛運だとか引っ越し運だとか仕事運だとか、そういうのに物凄ーく影響する。その辺のお祓いより全っ然効くけど、どうせあれでしょ? トイレの女神様とかの方が好きなんでしょ?

 (※「そんなことないです、照明とパフォーマンス向上に興味あります」という方は、ぜひShinodsにご依頼ください。)


Shin01

2017年11月16日木曜日

「ヴィンテージ好き」が気づかない霊的リスク

 「良いモノを知っている」というのは知識であって、「センスがいい」という意味ではない。

 頭のてっぺんから爪先まで「良いモノ」で揃えても、おしゃれになるとは限らない。

 良いモノを知らずとも、センスが良ければおしゃれを完成させることができる。

 良いモノは個性が強いから、身につけたり、そばに置いておくだけで心強い。

 中古品、ヴィンテージと呼ばれるようなモノは、それらがまとっている時間をも買えるという点が魅力で、合理的にも見えるんだけど。「手っ取り早い」という理由だけで選ぶには、あまりにも重いエネルギー。使いこなすよりも、飼い慣らすというような技術が要求されることはあまり知られていない。

 「モノの味わい」に飼われてしまう人は知識に溺れ続けるだけで、いつまでたってもおしゃれになれない。

 知識に自信があるから、自らがおしゃれじゃないことに気づけない。

 それをセンスだと勘違いしてしまうから、周りの言うことも耳に入らない。

 モノの一点一点について語るのは得意なんだけど、それらをどうブレンドするかについての言葉を持たない。「安物」という言葉を愛用する。

 知識とおしゃれは、意外と仲が悪いのでした。


Shin01

2017年10月28日土曜日

霊障を悪化させる、思わぬアイテム

 好きな漫画、好きな音楽。映画でも小説でもいいんだけど、継続性っていうのかな。作家性、作品に占める個人のセンスの割合が高くて、コンスタントに「摂取しやすい」という意味で、漫画と音楽が霊障に及ぼす影響は大きい。

 霊障は、痛みとか痒みを慢性的なものにしてしまう。

「バカバカしい、そんなの生活習慣に決まってる」とか言う人はいくらでも湧いて出るだろう。ちょいと進んだとして「メンタル」がせいぜいか。漫画も音楽も生活習慣で、大いにメンタルなんだけどね。一つ隣の「霊障」になると急に信じない。

 アークの呪いは良くて宇宙人は駄目っていう、インディ・ジョーンズ問題と同じ。便利だなインディ・ジョーンズシリーズ。

 肩が凝るとか、あちこち痒いとかっていう人に好きな漫画か音楽を聞いてみると「やっぱりね」ってなる。そりゃそんなもん読んでたらそうなるよ、それ聴いてたら良くなるわけないよ、と。

「ゲームやったら馬鹿になる」とか「漫画読んだらアホになる」とかとは角度が違うのよね。その人の性格とその作品の結びつきに問題があって、それが色んな症状を強めちゃう。女の人に多いかなあ。

「やめた方がいいよ」「やめれば良くなるよ」って言うと、カラコン着けたみたいに目がもうね、真っ黒になるの。

 原因そのものになることはないんだけど、悪い掛け算、タチの悪い接着剤みたいな感じで霊障を24時間、年中無休の安心サポート。

(※「あちこち行ったけど痛みや痒み、凝りが根治しない」という場合は、Shinodsにご依頼ください。)


Shin01

2017年10月27日金曜日

筋トレとスピリチュアルの意外な関係

 スピリチュアル(ああ、この言葉はすっかり安っぽくなってしまった)というか、非科学的なことというか。占いから「ムー」に載ってるようなことまで、「科学では説明がつかない不思議なこと」に興味がある人は結構いる。

 「分かっているつもりの人」と、「かなりの理解がある人」とがいて、後者はまあ「神秘家」と呼んでいいのかなと思う。あ、前者? 前者はあれだよ、「インディ・ジョーンズは三作目までしか認めない」みたいな人。パワーストーンとかパワースポットで止まる人。いいのいいの、前者の話は。

 えーっと、神秘家。

 神秘家と筋トレは相性が悪い。

 筋トレする人っていうのは「自分の肉体は自分で作れる」って意識が強くて、そこから「自分の身体のことは自分が一番よく分かってる」に行っちゃうんだよね。物理的に理解して、物理的に対処する、できるっていう律し方に向かう。「何年も病気してない」って人は皆無で、自分の不調に妙に詳しくて、「この症状はもう、経験で分かってる」みたいなノリ。

 分かってるから病院に行く、分かってるから薬を飲む。病気とか薬の名前にやたら詳しい。使う薬を選ぶのが好き。マッサージも好き。男に多い。

 精神は神秘的なもの、肉体は物理的なものっていう線引きを好んでしてるもんだから、せっかくの理解の深さがもう、全っ然役に立たない。知識が知恵になってないんだけど、自分は人より知っているっていう優越感で止まっちゃうのよね。そんなもんもはや神秘家でも何でもないんだけど、惜しいなーこの人って思う。

 「そこまで行ったのに?」って歯痒いんだけど、自分は賢いってところで止まってるから、人の話もあんまり聴かないんだよね。

 ま、男なんてそんなもんか(笑)。


Shi01

2017年10月12日木曜日

こんなときはカラコンで勝負!

 やれカラコンカラコンカラコンと、カラコンを目の敵にしてるんじゃないかわはははは、いやそのえっと、まあそんな感じに受け取られるかもしれませんが。

 その人が本来持っているエネルギー、人間としての魅力や威力を発揮して、最大限の幸せを獲得したい。そんな方向性でいきたいんだとすれば、黒目の輪郭を潰すようなカラコンはお勧めしませんよ、というのが基本で。

 本来の黒目の輪郭を潰すことの利点を追求するのであれば、それは結構なんじゃないでしょうか。猛獣使いならぬカラコン使い。別に猛獣じゃなくてもいいですね、悪魔使いとか、何かそういうのに憧れてる人はそっちでも。

 「人間以外の動物のほとんどが白目を露出させていないのは、感情を悟られないようにするためである」という話があります。目線が定まらないと、いとも簡単に「動揺してる」とか「嘘をついている」とか「キョドってる」と受け取られてしまいますので、これはもう、非常に実感しやすい理屈です。

 黒目の占める割合が大きくなれば大きくなるほど、感情は読まれにくくなる。究極のポーカーフェイスに近づいていく。

 野球は心理戦だ、ピッチャーはポーカーフェイスがいいとかね、他のスポーツでもスポーツじゃなくっても、とにかく読まれたくないならこれはもう、ルールの許す限りね、黒目を大きくすればいいですよ。

 アイドルやタレントの皆さんもね、演技が下手なのがバレにくいとか、演出の都合とかキャラ作りで引っ込みがつかなくなっちゃったとか、そんなんで嘘ばっかりつかなきゃいけないとかね、本心が見えちゃいけないとなったら、もうどんどんどんどん黒目を大きくしたらいいです。

 相撲とか柔道とかレスリングとか、相手の目が真っ黒だったら怖いでしょうねえ。勝つとか負けるとかより、何かもう帰りたい。


Shin01

2017年10月11日水曜日

カラコンの霊的リスク

 本来の黒目の輪郭を潰すようなカラコンのというか、あれを装着した瞳の何とも言えない気味の悪さというのは、要するに「目が死ぬから」なんだけど。人は相手の目から思っている以上に情報を受け取っていて、そこが偽装されたり、一部が遮断されたりすることに敏感なのよね。

 デジタル処理された画像や映像だと輪郭が強調されてしまうことが多々あって、極端な例だとプリクラ的な感じの黒目になるんだけど。

 そういうものを見慣れてきてしまうと、瞳に対して鈍感になる。どう見えるかを気にしていたつもりが、どう写るかにズレていく。

 鏡に映る自分と画面に映る他人とを比べるようになって、「自然なまま大きく」してくれると囁くカラコンが欲しくなる。

 自分を見てくれる相手の目ではなく、他の何かのための外見を作るようになる。

 自分の心を伝えるための瞳が死んで、記号のための黒目になる。

 心を見てくれる相手がいなくなる。

 ホホジロザメみたいな目になっていく自分を止められず、人でなくなっていく。

 別に脅しでも何でもなくて、あれって「憑いている」目に近いんだよね。動かすつもりのない自分の考えについて、人の意見を受け入れない前提で語っている人の目。それはあなた、愛されませんわっていう。

 カラコンつけてる人をバカにする人は多いけど、カラコンつけたみたいな目になってる自分に気づけない人もね、結構多いよ。


Shin01

2017年10月4日水曜日

それ、別れただけで解決?

 別れたり、離婚したり。

 終わって良かったね、という話はたくさん聞く。

 それで「相手を選ぶセンス」が良くなったわけではない、そんなことはもう断じてないんだけど。

 まるでセンスが良くなったかのような顔をして、次の恋へと突っ走っていく人もたくさんいる。恋に恋する資格に、年齢制限なんてないのねうふふ。

 (※「相手を選ぶセンス」を本当に改善したい場合は、ぜひShinodsにご依頼ください。)


Shin01

2017年8月24日木曜日

ホラー映画の「これ絶対終わってないでしょ」問題

 ホラー映画のラストで「終わった……」みたいな台詞が出てきたり、一家を乗せた車が遠ざかっていく。そんなとき「いやー、終わってないんじゃないの」と思ってしまうのは僕だけじゃないでしょう。

同じように感じたとしても、理由は様々。

とにかく怖がりで「駄目だ、そんなことしたって奴らは追いかけてくる」っていうパターン。

続編を期待するか、「どうせ続編狙ってるんだろ」と見透かして「これは終わらないぞ」と願う/予想するパターン。

何となく「いや、根本的な解決はできてないんじゃないのこれ」と思うパターン。

もっと何となく「だって嫌な予感がするもん」のパターン。

だけど実際は、いや実際はってどんな情況だよっていう話じゃなくって、嫌なことは早く忘れたい、なかったことにしたいっていう思考は強く働くもので。気の短い患者の「理屈はいいからよ、ちゃちゃっと治してくれよ先生」ってな感じになる。

だからまあ、「引っ越したら呪われた家だったから、とりあえず呪われてない家に引っ越そう」的な家族を見送るラストっていうのは、人間の弱さという現実を残酷なまでに描写していてそれを見守るしかない観客という名の自分自身に深く鋭く突き刺さりまったりとしてそれでいてしつこくないのでカンヌ映画祭に出品して賞をもらってもいいんじゃないかと思うんだがどうかね山岡君。

(自分の家が呪われているかもという方は、もちろんShinodsにご依頼ください。)


Shin01

2017年7月12日水曜日

このパワースポットをシェアしますか?

 一時ほど聞かなくなったような気もしますが、「何それ?」と聞き返されるような感覚もないので、定着したということかもしれません。パワースポット。

 そこには良いエネルギーが満ちており、行けば誰もが機械の身体をもらえる……間違えた、えっと元気になったり、運が良くなったりするというね。

「行けば誰もが」なんて言うもんだから、誰も彼もが行くようになる。「何か知らんけど御利益があるらしいから」、御利益御利益きゃっきゃっきゃっ。イケメンイケメンきゃっきゃっきゃっ。

 御利益と 漢字で書くと 浅ましい

 御利益を「いいこと」に置き換えてみますかね。いいことってのは、人によって、もしくはその人の情況によって異なるわけです。異なる需要、異なる欲求を満たす魔法の言葉、「いいこと」。

 霊感は誰にでもあるけど、それをどのように使うか、使っているかが大事であって。そういう部分、個人の想いの方向、何を大事に生きているかみたいなところと、その場所のエネルギーとの相性が果たしてどうか。

 相性が良ければ、晴れてそこがその人のパワースポットとなる。

 いい医者だって聞いたからわざわざ来てやったのに、なんだとんでもねえヤブ医者じゃねえか、みたいなね。「ハードル上がる」とか言うけど、聞く方の聞き方だってあるし、効く方の効き方だってある。あなたのパワースポット、お友達のパワースポット。共有できなきゃお友達じゃないとか、そういうのとは別の話。

 そういう細かいこと考えるのがめんどくさいから、誰にでもある程度、だいたい御利益があるみたいなのが「有名なパワースポット」になるんだろうけど。誰も彼もが行くようになれば、見えるゴミ、見えないゴミが結構増えて、そのゴミの方に引っ張られて具合悪くなる、なんてこともあるんでね。

 相性のいいパワースポットってのはまあ、意外と静かなもんです。


Shin01

2017年7月8日土曜日

「霊感あるんですよー」はなぜヤバい

「私、霊感とか全然なくって」って言う人はいいんです。

「私、霊感あるんですよ」とか「友達に霊感のある人がいてー」って言われると、あーあ、言っちゃったなと思う。

 霊感は誰にでもあるし、無意識に使ってるんですよね。問題はそれをどう捉えるか、自覚的に用いるならどう磨いたり、研ぎ澄ませていくのかが大事で。

 だから「私、霊感が強いんですよ」とか「霊感って言っていいのか分からないんですけど、そういうのちょっとあって」って言われると、うんうんそれで、と次を聞きたくなる。いや、顔が好みかどうかってだけかもしれないけど。

「霊感がある」だと持つか持たざるかの世界になっちゃって、同じ感覚を持つ仲間を探しにいっちゃう。周りにはいない、あたしだけだどうしよう、えっ嘘やだほんとですかうわー初めてです霊感ある人に会えたのー嬉しいなーこういう話できる人いなくってー。

 同じものでも違う形で捉えたりする、霊感っていうのはそういうものっていうか、霊感じゃなくっても個人の感覚っていうのはそういうものなんだけど、共有を強調したくて「見えたよね」を揃えにいっちゃう。

「あの人、手から金粉出てたから。」
「あーっ、出てたよね! あたしも見た!」

「霊感なんてねえよバカバカしい、それよりちょっとパチンコ代をくれ」的な周囲の無理解も手伝って、女は(なぜ女なんだ男でもいいじゃないか)「霊感ある人たちのコミュニティ」に居場所を求めるようになる。

 そういう人たちが「スピリチュアル」という言葉を変な感じに孤立させて、ウキウキ気分で「普通の会話ができない人たち」になっていく。孤独が嫌で仲間を探してたはずのに、気づかないまま別の孤独にはまってしまうっていうね。人生って不思議ね残酷よねー。

 まあ何でもいいんだけど、使えたはずの言葉が使いにくくなっちゃうってのはね、ちょっと不便だなー。


Shin01